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第十一話 玉菊灯篭

last update publish date: 2025-07-06 05:17:56

第十一話   玉菊《たまぎく》灯篭《とうろう》

七月、蒸し暑い吉原では活気が出てきていた。

酒宴も多く、大見世から河岸見世まで客が溢れている。

「おはようございます。 潤《じゅん》さん」 梅乃は男性職員に挨拶をする。

「おはよう。 梅乃は、いつも早起きなんだな~」 そう言って、梅乃の頭を撫でる。

この男性職員は 片山《かたやま》 潤一郎《じゅんいちろう》と言う。 いつも笑顔で、爽《さわ》やかな若い衆である。

「今日も、ここを頼めるかい?」 片山は、梅乃にホウキを渡した。

梅乃がホウキで掃いていると、少し後に小夜がやってくる。

「梅乃、おはよ♪」 小夜はニコニコしていた。

「どうしたの? なんかニコニコしてる~」

「聞いちゃったの! 勝来姐さん、水揚げをしたって」 小夜は興味津々であった。

(小夜、凄いな……私には想像できない……) 

「私は、いつやるのかなぁ……?」 顔に似合わず、小夜の大胆な発言に梅乃は引いていた。

「小夜、ちょっと頼めるかい?」 采が見世の外まで出てきた。

「はい。 お婆」 采は小夜のお使いを頼んでいた。

 「いってきまーす」 小夜は小走りで買い物に出掛けていく。

 「梅乃、今日は潤の手伝いをしておくれ。 玉菊《たまぎく》灯篭《とうろう》の飾りつけだ」

 采が言った後、梅乃は片山の傍で手伝いをしていた。

 「この灯篭に色を入れて飾るんだよ」 片山は、梅乃に優しく教えていた。

 玉菊灯篭とは、江戸時代の吉原で活躍した玉菊の供養の為のイベントである。

 玉菊とは、諸芸《しょげい》に通じた才色《さいしょく》兼備《けんび》の花魁のことで、京保十一年(一七二六年)に二十五歳の若さで亡くなっている。

多くの人に慕《した》われ、親交のあった引手茶屋がお盆に吊るしたことが始まりである。

その後、引手茶屋や妓楼が趣向を凝《こ》らした灯篭を吊るすようになり、吉原を代表する年中行事になっていたのだ。

 「今年は、どんなのにしようか……」 片山は頭を悩ませていた。

 「せっかくだから、目立ちたいですよね……」 梅乃も考えていた。

 「何しているの?」 菖蒲が声を掛けてきた。

 「菖蒲姐さん、おはようございます。 今、潤さんと一緒に玉菊灯篭の模様を考えていたんです」

 「玉菊……あぁ、もう、そんな時期なのね……」 

 「菖蒲姐さんも描いてみませんか?」 梅乃は、紙と筆を出した。

 「いいの? やってみたい♪」 思ったより菖蒲がノリノリであった。

 (あの時は泣いていたり、落ち込んでいたけど……もう大丈夫そうだ)

 梅乃は、菖蒲の様子を見て安心していた。

 「私、つい人と比べちゃうのよね……だから、玉芳花魁の禿をしてても「誰よりも、しっかりしなきゃ!」って思っていたのよ。 だから、いつも余所の禿を意識していたのよね……だから、私が私を苦しめていたのよ」 菖蒲は、心の棘《とげ》を捨てるかのように話し出した。

 「菖蒲姐さんは、しっかりしていて凄いな~って思ってました」 梅乃も、思った事を話していた。

 「変な風に見てなかった?」 菖蒲が聞くと、梅乃は首を横に振った。

 「私は、菖蒲姐さんが好きです」 梅乃の言葉に、菖蒲はご機嫌になっていく。

 「ありがとう。 じゃ、昼見世の用意するわね」 そう言って、菖蒲は妓楼に戻っていった。

 梅乃は、灯篭に貼る紙に下絵を描いていく。

 「おっ! いいね~」 片山は梅乃の絵を誉め、お互いに見せあっていた。

 そして当日、吉原のイベントが始まった。

 各見世で灯篭を置いて、賑やかな吉原に人が溢れかえっていく。

 三原屋の昼見世も気合が入っていた。

 梅乃は見世の外から張り部屋を見ていた。

 すると、 「ゲホゲホ……」と、咳《せき》をしている菖蒲が目に入る。

 (風邪かな? まさか、流行《はや》り病《やまい》では?) 梅乃は心配になる。

 しかし、よく見ると菖蒲はキセルを咥《くわ》えていた。

 (菖蒲姐さん、キセルなんて吸ってたっけ?) よく思い出しても見た事がない。

 (なるほど、そうか…… 頑張っているんだな……) 梅乃は幼いながらに菖蒲の努力を尊敬していた。

 そこに、若い男性が張り部屋を眺めているのを梅乃が気づく。

 (誰にしますか~?) 梅乃は心の中で興味津々だった。

 その時、男がクルッと振り向いた。

 「お嬢ちゃん、僕に何か?」 若い男は、梅乃に話しかけると

 「い、いえ……誰にするか見てただけで……」 梅乃は誤魔化していた。

 「ふ~ん。 お嬢ちゃんは、この見世の禿かい?」

 「はい。 梅乃と言います」

 「そう……何歳だい?」 「十歳です」

 そんなやり取りをして、男は去っていった。

 すると、 「お前が邪魔したから客が行っちまったじゃないか!」 妓女は梅乃に怒鳴りつけていた。

 「すみません、姐さん」 梅乃は頭を下げて、見世の中に戻っていった。

 そして夕方、多くの妓女が引手茶屋に向かう。

 指名が入り、妓女は迎えに行くのである。

 しかし、菖蒲の姿が無かった。

 菖蒲は指名も無く、今日も妓楼で待機をしていた。

 (姐さん……) 

 そこに小夜は、菖蒲に話しかけていた。

 「姐さん、今です」 小夜が菖蒲の手を引き、張り部屋に向かった。

 本来なら昼見世の時間だけ張り部屋に入って、指名を夜に貰う。

 つまり、ライバルの居ない、この夜の張り部屋を独占できるのだ。

 「ここに居ましょう。 小夜も一緒に居ますから……」 そんな小夜の気遣いに菖蒲は涙を浮かべていた。

「それなら私も……」 そして、梅乃も張り部屋に入ってきた。

それから十分ほど経った頃、昼間に梅乃と話した若い男性が三原屋に来ていた。

「昼間の禿の子だよな?」 若い男性が格子の外から話しかけてきた。

「あっ、昼間の……こんばんは」 梅乃が頭を下げた。

「君も妓女の真似を?」 

「いえ、姐さんとお話しをしていました……」 梅乃はニコニコして話していた。 

 若い男性は、しばらく黙っていたが

 「この方は妓女かい?」 若い男性が言うと

 「はい。 菖蒲です」 菖蒲は、梅乃より先に声を出した。

 「よし、今日は俺と遊ぼう」 若い男性は、飛び込みで菖蒲を指名した。

 「はい。 お婆と話してきます」 梅乃は立ち上がり、采の元へ駆けていった。

 「お婆、引手茶屋からじゃなく、直接来た客なんだけど……」 梅乃が采に言ったが、渋っていた。

 (一人の若い客が飛び込みか……遊び慣れてないのか?) 采は思っていたが、最初の指名くらいは……と、大目に見ようとしていた。

「あの……ウチは大見世って言って引手茶屋を通さないとダメなんだけどさ、今日は特別にいいよ」 采は若い男性に説明して中に入れた。

「それなら、引手茶屋に行けばいいですかね?」 若い男性は、見世の外に足を向けると

梅乃が肘で菖蒲をつついた。

(―はっ!) 菖蒲が若い男性に声を掛ける。

「よかったら、引手茶屋まで案内します―」

こうして菖蒲は、若い男性と一緒に引手茶屋まで向かっていった。

「やるじゃないか~」 采は、梅乃と小夜を誉めた。

「えへへ~」 梅乃と小夜は、ニギニギをして称え合っていた。

(化けるのは、どっちだろうね~) 采は、将来を楽しみにしていた。

そして、酒宴には梅乃と小夜も呼ばれていた。

「お嬢ちゃんも食べなさい」 若い男性は食事を振舞っていた。

「あの……」 菖蒲は声を出す。

「どうしました?」 若い男性は菖蒲を見る。

「いきなり来て、私は何と……」 菖蒲は生真面目で、軽いノリでの営業は不向きであった。

「僕は、近藤《こんどう》 喜十郎《きじゅうろう》と言います」

「私は、菖蒲です」 そんな会話から二人は仲良く話しをしていた。

そして時間が経ち、

「それでは、用意をしてまいります」 菖蒲は立ち上がり、一階の大部屋で支度をしていた。

そこで、菖蒲は客を迎え入れた。

朝、菖蒲は早くに目が覚める。

隣には喜十郎が寝ているのを見て、ホッとしていた。

(やっと、客を取れた……) 菖蒲は安堵感《あんどかん》でいっぱいになっていく。

そんな喜十郎に感謝と、何か不思議な感覚を抱き、顔を愛らしく眺めていた。

夜明けと共に、菖蒲は喜十郎の衣服を綺麗に畳んで帰り支度をしていた。

そして、初の後朝の別れ

「喜十郎様、本当にありがとうございました。 またお会いできますか?」 

菖蒲らしい言葉で喜十郎に話した。

「もちろんです」 喜十郎は、菖蒲を抱きしめた。

菖蒲は、恋する乙女のような瞳で喜十郎を見送る。

『ぽ~っ』 姿が見えなくなるまで見送った菖蒲は、大きく息を吐いた。

「乙女ですね、姐さん♡」 梅乃が菖蒲の耳元で囁《ささや》いた。

「うっ……見てた?」

「はい♡ しっかりと♪」 梅乃が答えた瞬間に、菖蒲の顔は真っ赤になった。

「このマセガキが~」 菖蒲は恥ずかしさを消すように、梅乃を追い回していた。

「朝からウルサイよ! 他の客も居るんだよ!」 そして大部屋の妓女が二人に怒鳴った。

「すみません、姐さん……」 菖蒲は慌てて謝り、静かにしていた。

(でも、梅乃は皆を幸せにしてくれる……本当に小さなお天道様だわ。 まるで玉芳姐さんみたい……)

菖蒲は、梅乃の存在に感謝をしていた。

吉原の玉菊灯篭は、おおいに盛り上がった。

(菖蒲も、これで変わったかね……あとは、勝来だ) 采はニヤリとする。

「これでよし。 あとは、昼見世の時間までお休みください」

「ありがとう……」 勝来が小さい声で言った。 

それから数時間後に起きる事は、まだ誰も知らなかった。

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