第十一話 玉菊《たまぎく》灯篭《とうろう》
七月、蒸し暑い吉原では活気が出てきていた。
酒宴も多く、大見世から河岸見世まで客が溢れている。
「おはようございます。 潤《じゅん》さん」 梅乃は男性職員に挨拶をする。
「おはよう。 梅乃は、いつも早起きなんだな~」 そう言って、梅乃の頭を撫でる。
この男性職員は 片山《かたやま》 潤一郎《じゅんいちろう》と言う。 いつも笑顔で、爽《さわ》やかな若い衆である。
「今日も、ここを頼めるかい?」 片山は、梅乃にホウキを渡した。
梅乃がホウキで掃いていると、少し後に小夜がやってくる。
「梅乃、おはよ♪」 小夜はニコニコしていた。
「どうしたの? なんかニコニコしてる~」
「聞いちゃったの! 勝来姐さん、水揚げをしたって」 小夜は興味津々であった。
(小夜、凄いな……私には想像できない……)
「私は、いつやるのかなぁ……?」 顔に似合わず、小夜の大胆な発言に梅乃は引いていた。
「小夜、ちょっと頼めるかい?」 采が見世の外まで出てきた。
「はい。 お婆」 采は小夜のお使いを頼んでいた。
「いってきまーす」 小夜は小走りで買い物に出掛けていく。
「梅乃、今日は潤の手伝いをしておくれ。 玉菊《たまぎく》灯篭《とうろう》の飾りつけだ」
采が言った後、梅乃は片山の傍で手伝いをしていた。
「この灯篭に色を入れて飾るんだよ」 片山は、梅乃に優しく教えていた。
玉菊灯篭とは、江戸時代の吉原で活躍した玉菊の供養の為のイベントである。
玉菊とは、諸芸《しょげい》に通じた才色《さいしょく》兼備《けんび》の花魁のことで、京保十一年(一七二六年)に二十五歳の若さで亡くなっている。
多くの人に慕《した》われ、親交のあった引手茶屋がお盆に吊るしたことが始まりである。
その後、引手茶屋や妓楼が趣向を凝《こ》らした灯篭を吊るすようになり、吉原を代表する年中行事になっていたのだ。
「今年は、どんなのにしようか……」 片山は頭を悩ませていた。
「せっかくだから、目立ちたいですよね……」 梅乃も考えていた。
「何しているの?」 菖蒲が声を掛けてきた。
「菖蒲姐さん、おはようございます。 今、潤さんと一緒に玉菊灯篭の模様を考えていたんです」
「玉菊……あぁ、もう、そんな時期なのね……」
「菖蒲姐さんも描いてみませんか?」 梅乃は、紙と筆を出した。
「いいの? やってみたい♪」 思ったより菖蒲がノリノリであった。
(あの時は泣いていたり、落ち込んでいたけど……もう大丈夫そうだ)
梅乃は、菖蒲の様子を見て安心していた。
「私、つい人と比べちゃうのよね……だから、玉芳花魁の禿をしてても「誰よりも、しっかりしなきゃ!」って思っていたのよ。 だから、いつも余所の禿を意識していたのよね……だから、私が私を苦しめていたのよ」 菖蒲は、心の棘《とげ》を捨てるかのように話し出した。
「菖蒲姐さんは、しっかりしていて凄いな~って思ってました」 梅乃も、思った事を話していた。
「変な風に見てなかった?」 菖蒲が聞くと、梅乃は首を横に振った。
「私は、菖蒲姐さんが好きです」 梅乃の言葉に、菖蒲はご機嫌になっていく。
「ありがとう。 じゃ、昼見世の用意するわね」 そう言って、菖蒲は妓楼に戻っていった。
梅乃は、灯篭に貼る紙に下絵を描いていく。
「おっ! いいね~」 片山は梅乃の絵を誉め、お互いに見せあっていた。
そして当日、吉原のイベントが始まった。
各見世で灯篭を置いて、賑やかな吉原に人が溢れかえっていく。
三原屋の昼見世も気合が入っていた。
梅乃は見世の外から張り部屋を見ていた。
すると、 「ゲホゲホ……」と、咳《せき》をしている菖蒲が目に入る。
(風邪かな? まさか、流行《はや》り病《やまい》では?) 梅乃は心配になる。
しかし、よく見ると菖蒲はキセルを咥《くわ》えていた。
(菖蒲姐さん、キセルなんて吸ってたっけ?) よく思い出しても見た事がない。
(なるほど、そうか…… 頑張っているんだな……) 梅乃は幼いながらに菖蒲の努力を尊敬していた。
そこに、若い男性が張り部屋を眺めているのを梅乃が気づく。
(誰にしますか~?) 梅乃は心の中で興味津々だった。
その時、男がクルッと振り向いた。
「お嬢ちゃん、僕に何か?」 若い男は、梅乃に話しかけると
「い、いえ……誰にするか見てただけで……」 梅乃は誤魔化していた。
「ふ~ん。 お嬢ちゃんは、この見世の禿かい?」
「はい。 梅乃と言います」
「そう……何歳だい?」 「十歳です」
そんなやり取りをして、男は去っていった。
すると、 「お前が邪魔したから客が行っちまったじゃないか!」 妓女は梅乃に怒鳴りつけていた。
「すみません、姐さん」 梅乃は頭を下げて、見世の中に戻っていった。
そして夕方、多くの妓女が引手茶屋に向かう。
指名が入り、妓女は迎えに行くのである。
しかし、菖蒲の姿が無かった。
菖蒲は指名も無く、今日も妓楼で待機をしていた。
(姐さん……)
そこに小夜は、菖蒲に話しかけていた。
「姐さん、今です」 小夜が菖蒲の手を引き、張り部屋に向かった。
本来なら昼見世の時間だけ張り部屋に入って、指名を夜に貰う。
つまり、ライバルの居ない、この夜の張り部屋を独占できるのだ。
「ここに居ましょう。 小夜も一緒に居ますから……」 そんな小夜の気遣いに菖蒲は涙を浮かべていた。
「それなら私も……」 そして、梅乃も張り部屋に入ってきた。
それから十分ほど経った頃、昼間に梅乃と話した若い男性が三原屋に来ていた。
「昼間の禿の子だよな?」 若い男性が格子の外から話しかけてきた。
「あっ、昼間の……こんばんは」 梅乃が頭を下げた。
「君も妓女の真似を?」
「いえ、姐さんとお話しをしていました……」 梅乃はニコニコして話していた。
若い男性は、しばらく黙っていたが
「この方は妓女かい?」 若い男性が言うと
「はい。 菖蒲です」 菖蒲は、梅乃より先に声を出した。
「よし、今日は俺と遊ぼう」 若い男性は、飛び込みで菖蒲を指名した。
「はい。 お婆と話してきます」 梅乃は立ち上がり、采の元へ駆けていった。
「お婆、引手茶屋からじゃなく、直接来た客なんだけど……」 梅乃が采に言ったが、渋っていた。
(一人の若い客が飛び込みか……遊び慣れてないのか?) 采は思っていたが、最初の指名くらいは……と、大目に見ようとしていた。
「あの……ウチは大見世って言って引手茶屋を通さないとダメなんだけどさ、今日は特別にいいよ」 采は若い男性に説明して中に入れた。
「それなら、引手茶屋に行けばいいですかね?」 若い男性は、見世の外に足を向けると
梅乃が肘で菖蒲をつついた。
(―はっ!) 菖蒲が若い男性に声を掛ける。
「よかったら、引手茶屋まで案内します―」
こうして菖蒲は、若い男性と一緒に引手茶屋まで向かっていった。
「やるじゃないか~」 采は、梅乃と小夜を誉めた。
「えへへ~」 梅乃と小夜は、ニギニギをして称え合っていた。
(化けるのは、どっちだろうね~) 采は、将来を楽しみにしていた。
そして、酒宴には梅乃と小夜も呼ばれていた。
「お嬢ちゃんも食べなさい」 若い男性は食事を振舞っていた。
「あの……」 菖蒲は声を出す。
「どうしました?」 若い男性は菖蒲を見る。
「いきなり来て、私は何と……」 菖蒲は生真面目で、軽いノリでの営業は不向きであった。
「僕は、近藤《こんどう》 喜十郎《きじゅうろう》と言います」
「私は、菖蒲です」 そんな会話から二人は仲良く話しをしていた。
そして時間が経ち、
「それでは、用意をしてまいります」 菖蒲は立ち上がり、一階の大部屋で支度をしていた。
そこで、菖蒲は客を迎え入れた。
朝、菖蒲は早くに目が覚める。
隣には喜十郎が寝ているのを見て、ホッとしていた。
(やっと、客を取れた……) 菖蒲は安堵感《あんどかん》でいっぱいになっていく。
そんな喜十郎に感謝と、何か不思議な感覚を抱き、顔を愛らしく眺めていた。
夜明けと共に、菖蒲は喜十郎の衣服を綺麗に畳んで帰り支度をしていた。
そして、初の後朝の別れ
「喜十郎様、本当にありがとうございました。 またお会いできますか?」
菖蒲らしい言葉で喜十郎に話した。
「もちろんです」 喜十郎は、菖蒲を抱きしめた。
菖蒲は、恋する乙女のような瞳で喜十郎を見送る。
『ぽ~っ』 姿が見えなくなるまで見送った菖蒲は、大きく息を吐いた。
「乙女ですね、姐さん♡」 梅乃が菖蒲の耳元で囁《ささや》いた。
「うっ……見てた?」
「はい♡ しっかりと♪」 梅乃が答えた瞬間に、菖蒲の顔は真っ赤になった。
「このマセガキが~」 菖蒲は恥ずかしさを消すように、梅乃を追い回していた。
「朝からウルサイよ! 他の客も居るんだよ!」 そして大部屋の妓女が二人に怒鳴った。
「すみません、姐さん……」 菖蒲は慌てて謝り、静かにしていた。
(でも、梅乃は皆を幸せにしてくれる……本当に小さなお天道様だわ。 まるで玉芳姐さんみたい……)
菖蒲は、梅乃の存在に感謝をしていた。
吉原の玉菊灯篭は、おおいに盛り上がった。
(菖蒲も、これで変わったかね……あとは、勝来だ) 采はニヤリとする。
「これでよし。 あとは、昼見世の時間までお休みください」
「ありがとう……」 勝来が小さい声で言った。
それから数時間後に起きる事は、まだ誰も知らなかった。
第二十一話 虚舟《うつろぶね》梅乃は、気になっていた三人組の男性の近くまで距離を縮める。そして、気づかれないように地面に、お絵描きをしながら近寄っていった。そして声が聞こえる場所までくると、絵を描きながら聞き耳を立てていると(あの人、見た事あるな……) 梅乃は、“ある人 ”が気になっていた。そこに見えたのは、男性がお金を渡している姿だった。(あら……見ちゃった~) 梅乃は気まずさから、絵を描きながら男たちから離れていった。そして、梅乃が三原屋に戻り「ねぇ、お婆……私、見ちゃった」 梅乃は采に、先程の事を話すと「お前、大変なものを見ちまったね……誰にも言うんじゃないよ」采が釘を刺す。夜中、酒宴の最中に梅乃は寝る時間になり、大部屋で横になっていたが(なんか落ち着かないな……) 昼間の事もあり、落ち着かない梅乃は三時くらいに小用で起きた。(お漏らししたら、お婆に外に吊るされちゃう……) そうして用を足した後、梅乃は妓楼の屋根に上った。「星が綺麗だな……」 そう言って、先日に習った舞踏《ぶとう》の真似事をしていた。その時である「あれ? 大きなお茶碗?」 梅乃は目を擦《こす》り、何度も見直していた。お歯黒ドブに浮かぶ、大きな茶碗のような丸い物が見えたが「まぁ、いいか……」 梅乃は布団の中へ戻っていった。翌日の朝、吉原に人だかりが出来ている。梅乃は興味本位で、その中に紛れていった。そして、話題となっている方向を見ると、そこには夜中に見た大きな茶碗がお歯黒ドブに浮いていた。そして、頭を抱えている男性が河岸見世の前に立っているのに気づく。「あの……どうしたのですか?」 梅乃は、見知らぬ妓女に話しかける。「なんだい、アンタ……禿か? ここ最近、変な事が起きるんだよ」 妓女は、こう漏らしていた。「足抜なのかね~? これじゃ見張りも厳しくて商売にも影響しちゃうよ」妓女は困った顔をしている。そして頭を抱えている男性に近づいていくと、「また足抜だよ……」 頭を抱えていた男性は、妓楼の主人だった。梅乃は、さらに聞き耳を立てていく。(みんな朝に気づく……? そうか、私は夜中に起きたから見えたけど、普通は寝ているものだ) 「おじちゃん……お団子食べたい……」 梅乃は、頭を抱えていた男性に話しかける。「なんだい? どこの禿だい?
第二十話 新しい禿「……」「へっ?」 梅乃と小夜は驚いていた。「何、ボーっとしているんだい! 部屋割りと仕事を教えてやるんだよ」采は梅乃たちに言っていた。「は、はい―」 三原屋は、新しい禿を迎えいれることになったのである。(先日の客は、この事だったのか……) 梅乃は思い出していた。時を戻して三十分前、「梅乃、小夜、新しい禿になる古峰《こみね》だ。 しっかり教えてやりな」 采の言葉だった。そして古峰は 「……」 無言だった。(この娘は……声が出せないのかな? たまに吉原では変わった人はいるけど……) 「こんにちは。 私は梅乃、よろしくね♪」 梅乃は、『最初が肝心《かんじん》』とばかりに元気よく自己紹介をする。しかし、古峰は “プイッ ” と、横を向いてしまった。(はぁ? 可愛く無いヤツだな……) 梅乃が目を丸くすると、「梅乃~ そんな元気の押し売りみたいな真似じゃ、驚くよ~ 優しくよ♪」「こんにちは。 私は小夜だよ。 よろしくね~♪」 小夜の持ち味の、ほんわかした声を古峰に掛けたが……“プイッ ” また横を向いていた。「―プッ」 梅乃は吹き出してしまった。「なんなのよ~ そんなんじゃ、モテないからね~」 温和な小夜が叫んでしまうほどであった。そして一時間後、「梅乃、小夜、古峰を連れて買い物に行ってきな」 采はメモを梅乃に渡す。「じゃ、古峰。 行こう」 梅乃が声を掛けると「……」 古峰は返事をしなかった。(コイツ、殴ってもいいかな……?) 梅乃がイライラし始める。そして仲の町を歩いていると「梅乃~ 小夜~」 鳳仙楼の禿、絢が声を掛けてきた。「絢~」 梅乃と小夜は、小さく手を振る。「久しぶり~って、新しい禿?」 絢はヒョコッと、古峰を見る。「……」 古峰は挨拶をしなかった。「随分と面白いのが入ってきたね~」 絢は顔をヒクヒクさせて言うと「でしょ。 私たちも苦戦中《くせんちゅう》よ」 梅乃が呆れたように言う。「はははっ……じゃ、頑張ってね~」 絢は、そそくさと去っていった。そして、買い物をする茶屋の千堂屋に着く。「おっ、梅乃ちゃん、小夜ちゃん こんにちは」「こんにちは。 今日はコレをお願いします」 梅乃は、メモを千堂屋の主人に渡した。すると、 「梅乃ちゃん、小夜ちゃん、こんにちは。 こちらは新し
第十九話 花の蜜 「ごめんください……」 昼見世が終わりの時間、一人の来客が現れた。「はーい」 小夜が対応する。そこには二十歳くらいの女性が立っていて「私、引手茶屋の千堂屋《せんどうや》で働いています野菊《のぎく》といいます」「はい……」 小夜は不自然な事に戸惑っていた。「良かったら、此処《ここ》で働けないでしょうか?」 野菊の言葉に、小夜は驚く。「少々、お待ちください」 小夜は、采の元へ向かい説明をしていた。そして、 「なんだい? いきなりどうしたんだい?」 采も驚き、野菊に聞くと「あの……茶屋から、接客を勉強しろと言われまして、働きながら勉強できる所を探していまして……」 と、野菊は説明するが、采は困っている。「まぁ、話した事は解るが……ここで働くのは女郎だよ? アンタ、出来るのかい?」「やった事はありませんが、お願いします」 野菊は何度も頭を下げる。そして、細かい説明をした采は悩んでいた。「う~ん……」 「どうしたんだい?」 采に話しかけてきたのは文衛門であった。「お前さん……」 そして、采は文衛門に野菊の事を説明すると「なんだって? 千堂屋が? ちょっと行ってくる」 文衛門は、慌てて千堂屋に向かった。そして、文衛門は千堂屋で店主と話していた。「それって……本気かい?」 文衛門は驚いている。どうやら野菊は、千堂屋の店主の娘だと言う。千堂屋は引手茶屋である。三原屋などの大見世は、千堂屋からの紹介で来る客も多い。 そんな得意先の茶屋ではあるが、「本気かい? なんで娘を女郎にするんだい?」 文衛門は、興奮気味に話していた。引手茶屋の店主は、本気のようだ。話しを聞いた文衛門は、野菊を預かることになってしまった。「お前さん、本気かい?」 当然ながら、受け入れをした文衛門に采は、驚きと怒りさえ混じった声で叫んでいる。「あぁ、仕方ない……あの親父も、「働かせるなら評判の良い所に……」 なんて言うものだから……」文衛門が肩を落としながら話していると、「まぁ、なっちまったもんは仕方ない。 野菊、菖蒲に付いて勉強だよ」采は野菊に指示をし、一緒に菖蒲の部屋に向かった。そして、菖蒲に説明をすると「えっ? お婆……本気?」 当然ながら、菖蒲は唖然《あぜん》としていた。「よろしゅう、お頼み申しんす……」 野菊は三
第十八話 春に舞う乙女たち 正月が過ぎ、厳しい寒さを抜けて春がやってきた。 この春を境に梅乃と小夜は十一歳となる。 誰も二人の誕生日を知らない訳で、春に拾った子だからと言うことらしい。 明治初期、少しずつ江戸の名残が薄くなっていった。 世間では、奉行から警察と呼ばれるようになり姿も変えている。 「梅乃~」 声を掛けてきたのは花緒である。 「花緒姐さん、おはようございます」 見世の前に出ていた梅乃を追いかけるように花緒も外に出てくる。花緒は、以前に勤めていた近藤屋から買い取った妓女である。四人の妓女が三原屋に来たが、花緒だけが梅乃と よく話す仲であった。他の妓女より端正な顔立ちで、可愛いより綺麗タイプの妓女である。「梅乃~ 昼見世の時間、外から見て目立つように助言を貰えないだろうか……」 珍しく花緒がアドバイスを求めてきた。「あの……私、男でもないし、妓女でもありませんが……」 梅乃が困っていると、 「梅乃って、見る目あるじゃない。 少しだけでいいから~」 (花緒姐さんって、美人だけど話すと子供っぽいんだよな~ だから、なんか断りにくいんだよな~) 梅乃は困りながらも「わかりました。 後で怒らないでくださいね……」 梅乃は、念を押して承諾《しょうだく》する。そして梅乃は、花緒が目立つように張り部屋を見ていた。(こうして見ると、花緒姐さんは地味なのか?)梅乃から見た花緒は、綺麗ではあるが不思議に目立たなさを感じている。 「花緒姐さん、なんとなくですが分かります……」 「何? どんな?」 花緒が食いついてくると 「それは、華《はな》です」 「華?」「はい。 花緒姐さんは顔立ちが良いのですが、なんとなく華やかさと言うか…… もったいないと思ってしまいました」「ふむ……」「すみません。 頭にきたなら叩いて結構ですので……」 梅乃が頭を差し出す。「しないわよ! 私から頼んでおいて、出来ないわよ」 花緒は、慌てて両手を振っていた。「でも、どうしたら華やかさが出るんだろう……」「少し、外に出てみませんか?」 梅乃は花緒を外に誘って、仲の町を歩いてみた。 「ねぇ、仲の町を? どうして?」 花緒は、落ち着かない様子で梅乃の後ろを歩いていく。 「姐さんたちは昼見世の後は芸子の練習をしたりで、あまり外を歩かないじゃ
第十七話 年の瀬の騒ぎ「おはようございます」 梅乃と小夜は、早起きをして吉原を散歩していた。妓女たちは、朝の六時に客を見送る『後朝の別れ』を済ませてから寝床に入り、十時くらいまで仮眠に入る。梅乃と小夜は、子供なので夜の九時には寝ている。 朝の六時には起きて、妓女の見送りには息を潜めて邪魔をしないようにしているのだ。『後朝の別れ』が済むと、梅乃と小夜が慌てて小用に向かう。その後、時間潰しに吉原の中を散歩するのが日課だった。「もう寒いね……」「うん、早く帰ろう」 そう言って、急いで妓楼に戻る。「おはようございます。 潤さん」 梅乃と小夜は、毎朝 見世の前を掃除する片山に挨拶をする。そして、しばらくすると「梅乃……私、お腹が痛い」 小夜が言い出した。「お婆~ 小夜、お腹が痛いみたい」 梅乃が采に話すと「赤岩先生に診《み》てもらいな」 采は親指で赤岩の部屋をさした。赤岩は三原屋に住ませてもらう代わりに、全員の診察をしているのである。「ふむ……ちょっと早い気がするが……」「なんだい?」 采が聞く。「おそらく馬かと……」 馬とは、生理の言い方である。 月のもの、血の道 などと呼んだりもする。「へ~ じゃ、初馬《はつうま》かい!」 采は喜んでいた。そして、采は腹帯《はらおび》を改良して小夜の下腹部に付けた。この月経帯を新馬《しんうま》と呼んでいた。 馬の帯に似ているからとのことらしい。「小夜……大丈夫?」 梅乃は、まだ生理を知らず、痛がっている小夜を心配していると「大丈夫も何も、お前もじきに来るよ。 心配するな」 采は、そう言ったが梅乃は心配であった。翌日、小夜に出血が見られた。そして一階の大部屋では 「おめでとう~」 なんて言葉が飛び交い大部屋には、勝来や菖蒲も来ていた。(なぜ、おめでとう……なのか?) 首を傾げる梅乃と小夜であった。翌日から小夜はお休みとなった。采が『初めてだから』と言って休ませるとは、 じつに優しいお婆である。そうなると、お鉢《はち》は当然 梅乃に回ってくるのだ。「梅乃~髪結い」 「梅乃~服を押さえて~」 と、仕事が増えてきた。(クタクタだ~) 梅乃は疲れていた。そこに小夜がやってきて、「ごめんね 梅乃~」 小夜は、申し訳ない顔をしていた。「大丈夫だよ」 梅乃は、そう言って手をニギニギ
第十六話 足抜《あしぬけ》秋から冬へと向かう頃、寒さも一段と増してきていた。「梅乃、ちょっと来な」 見世の中から采が呼ぶ。「はい。 なんでしょうか?」 梅乃は、采の元に行くと「ちょっと、噂《うわさ》を拾ってきてくれないかい?」 噂を拾うとは、“吉原の中で噂を聞いてこい ” と言うことだ。大体は引手茶屋に行き、馴染みの主《あるじ》であれば噂や情報を提供してもらえるが、ここ最近では聞かなくなっていたようだ。「ウチの評判も気になるしね。 吉原細見の他にも情報がないかと思ってね~」 「わかりました」 梅乃は仲の町を歩き、聞き耳を立てていた。(確かに、子供になら口が滑ることもあるだろう……) 子供ながら、梅乃はしっかりしていた。『ヒソヒソ……』 やはり、色んな場所で、色んな事を話している人はいるものだ。その中で、気になる人たちが目に入る。そこには男性が三人いて、小さい声で話していた。そしてお歯黒ドブを指さしていたのだ。(なんかあるのか?) 梅乃はお歯黒ドブに近づき、垣根《かきね》の隙間《すきま》から外を見てみる。「なにも変わらないけどな……何かあるのかな?」 今まで気にしていなかった梅乃は、マジマジと外を見ていると「吉原の外って言っても、変わらないかな~」 そんな程度の感想だった。そして翌日、朝から梅乃はお歯黒ドブの方を見にくるとそこには怒りを露《あら》わにしている男性がいる。梅乃は、そっと近づいていく。そこから聞こえてきたのは「また足抜《あしぬけ》か……これで何件になるやら……」 そんな言葉だった。足抜とは、脱走のことである。妓女は借金を抱え、過酷《かこく》な労働《ろうどう》環境《かんきょう》の中で働かなくてはならない。そして年季が明けるまでは吉原から出る事が許されないのである。妓女が吉原から出られる方法は二つ。身請けをされて、身請け人が借金を払うのがひとつ。もう一つは、死ぬことである。病気が重く、死ぬ間際になれば実家に帰らされることはあるが、だいたいは命を落とすケースが多い。借金を抱え、身請けが出来ない妓女は吉原から出る事が出来ないのである。吉原の出入り口は一つしかない。 大門である。その大門には四郎《しろ》兵衛《べえ》会所《かいしょ》というのがある。そこには足抜をしないか見張りをする者がいる。男性は